
概要:装着動体塑像について
作品をアバター化して、作者自身が装着することで得られる効果を検証する。感覚の統合が作者と作品の間で獲得されたら、造形の根拠を観察する新たな見地が期待される。いかなる効果が得られるのか。美術的な新現象や芸術作出の補助手段としての可能性を仮定して、その検証に挑んだ。デジタル技術を駆使して、仮想空間での疑似身体を用い実施した。
協力者:平田尚也(美術家)
実施報告
装着動体塑像について
塑像的に造形されたアバターを称して、装着動体塑像とした。人形浄瑠璃やアニメーション、広くはレーシングカーなども含め、動作を含んだ造形物は実際に多くあり、その独特な作用を見せている。物体の動作を生命がコントロールする際の効果として、命が宿るかのような、物体と身体感覚との統合効果がある。たとえば自動車の車幅感覚など、身体感覚が維持されうる範囲が生命を宿す物理現象とも感じられなくもない。その造形物と身体感覚の統合が、作者と作品の間で獲得されたら、造形とその結論とのループが産まれ、連鎖的な強い造形的反応が期待される。いかなる効果が得られるのか。美術的な新現象として、また芸術作出の根拠を作者レベルで獲得する補助手段として、大いに可能性があるのではないかと仮定して、その検証に挑んだ。
検証方法概要
今回の検証においては、美術作品をアバターとよばれる仮想空間内の疑似身体に改変し、作者自身がヘッドマウントディスプレイ(HMD)を用いてそのアバターを装着することで、作者と作出物を統合する視覚体験を成立させた。身体感覚の視覚的統合という目的において優秀に特化したデバイスとして、HMDという近年初めて出現した技術がある。仮想空間で活動するためのアバターとの身体感覚の統合を見事に果たしてしまう。3Dスキャナーとアバター変換の技術を駆使して、人体塑像等を仮想空間での疑似身体へ改変し、その効果を検証した。
美術作品アバターへの改変作業
彫刻科新入学生の初課題として、等身大の人体塑像制作が行われる。その課題に取り組む学生から有志を募り、立体スキャナーによって人体塑像の3Dデータを取得した。多くの学生がその時点で、既にある種の興奮を示していた。次々と自身の作品がデジタルデータに変換されてゆく様を目撃する過程で、作品が形の情報のみになった事態に興奮しているのである。自身が成し遂げたその造形行動においての様々な物理的宿命が、実体を失ってもなお痕跡として維持されていることに、皆感動するのだ。視覚体験のみの実体の無い仮想空間においても、塑像芸術が機能しうると確信する瞬間でもあった。そしてアバター化し生命観を与える際の、塑像芸術としての精度の移行も期待された。今回は16体の塑像の取得を行い、全てをアバター化すべくその後の作業に取りかかった。
アバターとして活用するための条件として、リアルタイムレンダリングというハードルがある。複雑な3D情報を仮想環境内で画像化し、一秒につき90枚のアニメーションとして両眼2種類の動画を遅延感覚無く生成させる。これは生成させる画像クオリティーと、アニメーションとしてストレスの無いフレームレートとの、トレードオフの関係にあり、そのバランスがその時点でのPC環境に縛られている。画像クオリティーを高くしすぎると生成のための計算に時間がかかり、HMD装着者の動作と再生される画像との遅延が発生し、車酔いに似た不快感や視覚フィードバックが失われ、アバターを装着している感覚をほぼ喪失してしまう。現時点では装着感を損なわない事が重要と考え、フレームレートを優先してバランスした。本来はスキャニングした時点と同数のポリゴン情報を持ったモデルを用いるのが理想だが、塑像の作品性成立ぎりぎりまで減量し、全く再生遅延の無い情報サイズとした。失われた細部の情報は法線マップとテクスチャーマップとして表面に奥行きを付加させて維持した。また、意外にも苦労した点として、Tポーズ化と言う工程がある。塑像は全て、あるポーズが付けられている。そのポーズを解いて、Tポーズという両腕を横に伸ばし両脚をそろえ直立するアバターとしての基本ポーズに変換する。これには実際に塑像を制作するに等しいデッサンのスキルや塑造力を必要とし、3D造形アプリケーションのZBrashを駆使して変形させてゆく。あくまで塑像作者の造形物である範囲を超えないように最小限の作業に留めなければならず、また、引きはがした部分へのディテール追加など、精度の高い機器による熟練者の作業となった。その後、動作機能を付加して、VRChatというアバター活動のための仮想空間への導入作業を果たす。

美術作品アバターの装着実験
アバター装着実験は、研究室内に構築されているフルトラッキング制御のHMD装置によって行われた。両手と腰と両脚にトラッカーというセンサーを装着し、6点のサンプリングで、全身の動きを仮想空間に移行出来る。仮想空間での再生様式としては、美術館を模した空間に鏡を設置したワールドをVRChat内に構築し、自身が装着しているアバターの外観を視認できるような環境とした。3名の被験者がそれぞれ自作と他作複数の塑像を装着し、個々に聴取しつつ実験を行う。聴取に際して独自の調査カードを作成し、実験時間軸に沿って記録できる形式を展開した。それぞれに個性的な反応を示していたが、まずはその中でも共通するものを提示したい。
開始からまもなく、興奮気味に個々独自の感想を提示してゆくが、これまで人類史上例の無い体験であるためか、皆同様に擬音や感嘆詞が多く、なかなか言語化が難しい感覚であるとも主張する。
その後は皆一律に自身の作品の当初のポーズを正確に再現してみせた。アバター化するときに生じている変形を、自身の美学的結論との差と受け止めている。ポーズと造形には不可侵な整合性があると主張する。
自身の理想としたポーズの他の例を自ら提示して見せた。ポーズと造形の不可侵な整合性を乗り越えて、次にある可能性を探り始める。
手を加えたい箇所があると主張する。
この一連の反応は、なかなかにエネルギッシュで、非常に早く、数分の内に展開される。開始付近での体験の反応としては、建設的で向上心に溢れた結論が見られた。
次に、作品の中に生命として入り込むことについては、非常に個別的な感想となった。制作した作品に対する認識の差が、個性として現れたと思われる。独創的な造形バリエーションにつながる源泉の一種とも見えた。実験を開始する時点で実施側が予想していたのは、ピュグマリオニズムなどの人形愛的分析譚や、ヒトガタの象徴集合等の既存の人体造形論であったが、大きく裏切られた。
「この体で全力で走ってみたい」
「少々閉所恐怖を感じるので、ここに、蓋のギミックは付けられますか」
「宇宙にぽつんと浮かぶような寂しさがあり、これは惑星を作っている」
「6本脚にしたら」
などのアクション芸術的、実身体的な感想が多く。造形の可能性として、新たな次元を得た者が、早くもその環境下で創作意欲を得始めている様子であった。装着したことが次の造形に影響を与え、その影響を確認する形で再び装着される、造形と装着のループの始まりを感じた。
彫刻科の学生という、立体の造形作家を目指している者の反応として、その宿命を見せた実験結果であった。しかし、結論として重要と考えるのは、大いに個差が認められたことだ。自身の個性を認識し、独自の表現を研究し始めた者にとって、その認識を分析するに足る「個体特性」の見られる資料として、非常に有効な可能性を持っているといえよう。
美術作品アバターの表現例
次の実験として、その作品アバターを装着した際の表現例の取得に取り組んだ。造形作家でもある研究者が自らの作品をアバター化し、その疑似身体を用いて一定の時間を過ごし、その間の表現を記録した。視覚による自身の外観からのフィードバックは自己同一性に大きく作用しており、より深度のある視覚的認定として自身の外観がアバターの形態となったときに、自己同一性が再編成される実感が明確にあった。これまでの行動率によって選択の外にあった文化への抵抗が減少し、自身に備わっていつつも秘められた表現力の発見に寄与できる環境となった。
自ら創作した人体塑像作品をアバターとして装着すると、予測を上回る表現領域の改変が認められた。これまでスポーツを含め一切の身体表現に消極的であった当研究者が、連日ダンスワールドで、ダンサーとして観衆の前で長時間踊り、その技術を錬磨し続けて、アバターの造形作業にも反映させていった。即席ではあるが激しい身体表現の場を獲得した。当研究者はアトリエに引きこもって工作美術的な表現をメインとしていたが、そうして作出していた物体は非常に活動的な要素を持ち、舞踊等の肉体表現の導入も造形的必然であると発見した。自身に改変を与えた身体形状は自ら作出したものであり、作品が担っている形態の隠れた根拠が、思わぬ形で表現化された例と実感する。

客観への成果
上記のように、表現者の側には大きな効果が認められる美術作品アバターの着用だが、鑑賞者の側にはいかなる効果があるのか。作品を作者が着用している状態について観察し、比較事例として2つの形式で3DCG映像を制作してみた。人間が着用しているアバターと、プログラムによって動作させられている人型3DCGである。両者の映像を比較すると、生命観の有無は明白に感じられる。今回はアバターを装着して命の宿った状態での活動を録画したものや、あるダンサー達のモーションデータを添加した動画制作も試みた。命の痕跡を宿したその画像には、実際に生きた人物が写された画像と何ら変わりの無い、生身の表現力があり、かつて不気味の谷と言われていた死体めいた命の無い動作物体との差、欠落していた情報の所在を見つけたような、芸として手放してはならない鑑賞者との関係を再認識させたれたのであった。

- 西尾康之
- 彫刻作家、彫刻科教授