〝ノウ〟にふれる

1.はじめに(概要)

本プロジェクトは、東京藝術大学未来創造研究センター藝術資源活用プロジェクトにおいて実施された能舞台3D化事業の発展系として位置づけられる。能楽における重要な文化資源である能面の3Dアーカイブ化を実施するとともに、能楽が持つ死生観をテーマとした絵本『胡蝶』を制作し、教育・福祉施設等での普及活動を展開した。また、3Dデータを活用した復習型教材の開発、さらにはART DX EXPO #2における「霊の可視化」インスタレーション実施を通じて、伝統芸術に新たな表現可能性を提示する試みを行った。本報告書では、プロジェクト全体の実施内容、経過、成果について記述する。

協力:
東京藝術大学AMC 秋田亮平特任講師
東京藝術大学AMC 松浦 知也特任助教
慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科 脇坂崇平特任助教
東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了生 阿部文香
東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻 坂根大悟
東京藝術大学美術学部油画科 野原歩

実施報告


2.プロジェクトの目的と当初計画

本プロジェクトの当初目的は、以下の4点であった。

  1. 能面のフォトグラメトリー技術による高精度な3Dデジタルアーカイブの作成
  2. 死生観をテーマとした絵本『胡蝶』の制作と、それを活用した教育普及活動の展開
  3. 小学校、高齢者施設等におけるワークショップ実施と、3Dデータを活用した復習教材の開発
  4. デジタル技術を活用した新たな能表現の探求(インスタレーション作品の制作)

これらの取り組みにより、伝統文化資源の保存・普及・発展を図ると同時に、現代的視点からの再解釈を試みることを目的とした。

3.実施内容と経過

3-1.能面の3Dアーカイブ化

能面の3Dデータ化にあたっては、AMC特別講師秋田亮平氏の協力を得てフォトグラメトリー技術を用いた撮影・解析を実施した。光源や角度を細かく調整しながら、多方向からの高精度撮影を行い、形状・質感を忠実に再現した3Dモデルを作成した。これにより、能面特有の微細な表情変化や経年劣化をも含めた保存が可能となった。

3-2.絵本『胡蝶』の制作と現地調査

能楽が内包する死生観を現代の子どもや高齢者に伝えるため、絵本『胡蝶』を制作した。制作にあたっては、国立国会図書館にて能楽関連資料を調査するとともに、奈良・京都の現地調査を実施した。春日大社、興福寺、下鴨神社などを訪問し、神仏習合や自然観、能楽発展の背景にある文化を体感した。これらの体験をもとに、死後の世界観や再生の思想を盛り込んだ絵本構成とし、視覚的にも親しみやすい作品とした。

3-3.教育現場・福祉施設での展開

完成した3Dデータおよび絵本は、小学校および高齢者施設でのワークショップにて活用した。特に、能面3Dデータや能舞台3DデータをQRコード化し、児童や高齢者がスマートフォン等で容易にアクセスできる形式としたことにより、事後学習ツールとして好評を博した。ワークショップでは、絵本の読み聞かせに加え、能面の観察や、能舞台を仮想空間で体験するプログラムを導入した。

さらに、副科謡曲(能楽・宝生流)授業において副教材として採用され、また音楽学部「邦楽実技論」の授業でも一年間継続的に活用された。

3-4.ART DX EXPO #2 におけるインスタレーション展示

能の死生観を現代的に可視化する試みとして、ART DX EXPO #2 においてインスタレーション作品「霊の可視化」を発表した。能面3Dデータに加え、音量センサーを用いて、空間内の音に反応して可視化される霊的存在をデジタル表現した。
伝統文化における「目に見えない存在」の表現を、現代技術と融合させることで、能楽の持つ精神性を新たな形で提示する成果を得た。

4.当初計画からの変更点

当初の計画においては、能面の3Dデータを活用した教育展開が中心であったが、現地調査の結果、能の死生観をより深く掘り下げる必要性を認識し、絵本制作において自然観や転生思想を強調する方向に内容を修正した。また、ART DX EXPO #2での霊の可視化インスタレーション実施も、計画段階にはなかったが、プロジェクト進行中に新たな展開として加えたものである。

5.成果と今後の展望

本プロジェクトを通じて、以下の成果を得ることができた。

  • 能面という重要文化財の高精度デジタル保存
  • 子どもや高齢者にも能楽の精神性を伝える絵本『胡蝶』の制作
  • 小学校・高齢者施設での口腔筋力・教育ワークショップ展開
  • QRコード活用によるデジタル学習導入
  • 霊的存在の可視化をテーマとした新たな能表現の提案

今後は、収集した3Dデータをさらに一般公開できるプラットフォーム整備を進めるとともに、絵本やワークショップの多言語化、さらなるインスタレーション作品の開発にも取り組んでいく予定である。

6.おわりに

伝統文化資源をデジタル技術によって保存・発展させる本プロジェクトは、文化財の未来に向けた重要な第一歩であると確信する。今後も、能楽の精神性とデジタル表現の融合を探求し続ける所存である。


澤田澄
東京藝術大学 音楽研究科邦楽専攻能楽囃子2年